戦う意思はない

誰の意見も求めてない ただ喋りたい

「女子をこじらせて」を読んで

女子をこじらせてを今になって初めて拝読しました。こんなこと考えてる人が自分以外にもいたんだ!ってすごい感動と衝撃だった。Twitterやブログをよく見てツイフェミだのなんだのってジェンダー問題にはそこそこ触れてきて色々考えてきたつもりの私でさえ「私は一人じゃなかった!」ってホッとしたんだから当時これを読んだこじらせ女子達はどれだけ感動しただろうか。発売されたの七年前?ああもっと早く読んでおきたかった。

そもそもこれを読むまで私は雨宮さんがAVライターだということも知らなかった。お名前は存じてました。こじらせ女子というカテゴリの名付け親ということも。フェミ寄りの意見持ってるコラムニストとかエッセイストなのかな〜くらいの知識だった。こんなにエロと女に対して真摯に向き合って向き合ってきた人だったんだな。私の中でそういうインターネット上で女子について言及する人たちはなんだかんだ卑屈なことや自虐的なこといいつつお洒落で綺麗で結局はそこそこにモテて男と関わりを持ってきてるし女としての自信に溢れ卒なくこなす人なんだろうなと勝手にイメージしてる。結局彼氏が何人かいた時点で雨宮さんは最終的には私のイメージしてたそういうキャラに近いところにいるのでは?と思うけど、それでもそうなるまでにそんな暗く怯えに満ちた自信のない青春を過ごしてきたのか、と驚いた。それでもやっぱり勢いでセフレ?作ったり出版社に面接行けたり会社辞めていきなりライターとして行動出来てしまうところは私には到底真似できないし人間的に格が違うなあとは思う。

女として、女だから、女女女。男に性的に求められなければ価値がないと思ってしまうことも分かる。そういう社会なんだもん。新喜劇見ててもそうだし。可愛くない女芸人が性的アピールをするも全然相手にしてもらえない、というのが王道のお笑いネタで小学生の頃からそれを見ていた私は女としての価値はそこにあると勘違いして大きくなった。と同時に、価値のある女になれないなら男に「分かってる女」として認定されたいという名誉男性への憧れも練り上げていた。インターネットをやっていてよかったなあと思うのは知らない人の意見を知れたことだなと思う。私そうじゃなきゃ「女性専用車両って自意識過剰」って言ってたと思う。痴漢に遭うとか自慢?って思ってそう。今はそうは思わない。傷付いた人たちがネットで色々意見を聞かせてくれたから。かといって男性全てが敵だとも思わない。

雨宮さんが当時付き合っていた男の人のハイエースの中でラジオから流れてきた椎名林檎の「罪と罰」聴いて泣きそうになってもうこんなことやめようと思ったところ、私も一緒に泣きそうになった。私も世界に触れたいと思った。椎名林檎みたいに全身全霊で生きていきたい。ああ、分かる。

最近気付いたけど私は「女」になるのが嫌なのかも。かと言って自分の身体が女性なのが嫌なのでもないし女性的な振る舞いや服装が嫌いなのでもない。でも恋愛をしたときに自分が「女」だと意識させられるのがもう途方に暮れてしまうくらいいやな気持ちになる。制御できない。身体中の細胞全部に嫌悪感が染み渡ってもう何もしたくなくなるし生きているのが嫌になる。でも人を好きになりたい。恋愛はしたいしセックスもしたい、でもドラマや漫画や小説で見かけたような「女」として男性に扱われるのがどうしようもなく恥ずかしくて嫌になる。どうしたらいいかわからない。その羞恥心は凄まじく、好きだった相手でも一度セックスをするともう目を合わせることすら出来ないし笑顔さえ作るのがしんどい。連絡も取りたくない。相手に対して不誠実だという罪悪感も二重三重に私を苦しめる。申し訳ないと思いつつもう二度と会いたくない。女扱いされたくないから。意味がわからないよね、私もわからないし自分がどうしたいのかも全くわからない。

雨宮さんは男性から女として抱かれるのに抵抗はなかったみたいだから私とはケースの違うこじらせだったんだな。そもそも皆が抱えてる悩みの種類が似てるからって全部が同じ訳でないのは重々承知なんだけど、私が「女子をこじらせて」を読もうと思ったのは自分のこの謎の感情をどうにか割り切ったり分析したりする鍵があるんじゃないかと思ったから。

結果、読んでよかったと思ったけど、悩みへの答えは出てなくてまだ悩んでる。好きな人が欲しいけど好きになるまで時間もかかるし好きになったとしてもそもそも自分の中の問題がある。女というよりは、「恋愛」が苦手なのかもしれないって最近はぼんやりと思っている。昔から知らないうちに根付いている「恋愛なんてチャラチャラしてくだらない」という価値観。こいつが病原。愛や恋なんて価値がないと考えてる節があるのに、私の根っこは笑ってしまうほどロマンチストで、恋愛をテーマにしたストーリー物が大好き。昔からお姫様が出てくる御伽話ばかり読んできた。王子様みたいな男の子が出てくる少女漫画は大好きだったし、夢見たいなBLも大好き。物語は自分に関係がないからセーフ。でも現実の私の身体に降りかかる「恋愛」アウト。きっと一生子供でいたいんでしょう。親に恋愛の絡む話を一切出来ないしそういう話題を振られただけで顔が引き攣って言葉が話せなくなって幼稚に黙り込むんだから。

なんでもかんでもそうだけど、結局は自分に自信がないことが全部の原因のような気もしてきた。でも自分に自信なんて持てないよ。だからって女として肯定してもらう為に男の人にかわいこぶりっ子したって吐き気がしてあとで後悔に打ちのめされるってもう色々経験して知っているからインスタントでお手軽な承認は得られない。あーあ生きにくい。生きにくいけど生きていくしかない。

雨宮さんは後書きで「もっとチャラチャラしたかった!」だけが心残りだって気付いてから、新しい靴買って、クラブ行って、人と会ったりなどしてたら、世界が色を取り戻したって言ってた。ヒントはそこにあるかもしれない。私も自分のやりたいことをしていこうと思う。雨宮さん、亡くなったときはどんな気持ちだったんだろう。「もっと生きたかったのに!」って思ったんだろうか、それとも「あのときチャラチャラしといてよかった〜!もう思い残すことな〜い!」って思っただろうか。

さて、私の思い残しそうなことってなんだろう。怒られないようにって人の顔色窺いばかりしてビクビクしつつ生きてきたからもうそういうのはやめたいな。あとはなんだ?思いつかない。でも突飛なことはなくていいから、毎日生きてるのが楽しいなって思えるしょうもないことの積み重ねをしていきたいかも。

恥をかくことを恐れて生きてきたのに結局恥しかないような人生だし今更何をしたってこれ以上やばいことになんかならないって覚悟を決めたいと思う。